平成23年6月25日~27日、「ハイサイおじさん」、「花~すべての人の心に花を~」で知られる沖縄のミュージシャン・嘉納昌吉&チャンプルーズが、台風を乗り越えて、いわき市を初訪問した。
一説によると400年以上前の1603年、袋中上人(たいちゅうしょうにん)は、中国を目指していたという。しかし、荒天によりたどり着くことができず、琉球王国(現在の沖縄県)に流れ着いた。そこで、大衆に念仏を伝え、琉球文化と融合し、沖縄の念仏踊り・エイサーになったといわれる。
今回の渡航では沖縄からのゆいまーる訪問団もひどい台風に見舞われた。偶然とはいえ、何か運命的なものを感じる。
小名浜一中で行なわれた沖縄 福島 ゆいまーる祭りの前夜の25日、関係者が『菩提院』に集った。
その様子を準備からご紹介したい。
『涅槃山 菩提院』は、慶長4(1599)年に開山された。袋中上人48歳の時のことだ。
磐城平(いわきたいら)13万石の大舘城主・岩城貞隆が城内に建立し、菩提院と名づけた念仏道場がその興りだ。袋中上人に深く帰依していた貞隆により住職として招かれた上人は、渡明のためにこの地を離れる慶長7年まで菩提院に留まり布教活動に邁進。城下には常に称名の声が響いたという。
この本堂前に、喜納昌吉さんの親友であるキャンドル・ジュンさんによって、キャンドルが準備された。
この続きは・・・ Read more をクリックしてご覧ください。
光まばゆいばかりの菩提院の本堂。阿弥陀仏の前に『袋中上人木像』が坐している。
静かに、慎重に、キャンドルに灯りをともしていくキャンドル・ジュン氏。
闇の中に、キャンドルの灯りに照らされたキャンドル・ジュン氏が浮かび上がる。
キャンドルの灯りは、世の闇を払う光。希望の光であるように思える。
東京うるまエイサーによるエイサー奉納
袋中上人所縁の寺院にて、袋中上人が沖縄に伝え、発展した沖縄の念仏踊り=エイサーが奉納される。
一同、万感の想いだった。原点に立ち返るような感覚だったことだろう。
本堂にて焼香
東京うるまエイサー、ゆいまーる訪問団によって焼香が行われた。沖縄 福島 ゆいまーる祭りを行うに当たり、まずはいわきへの到着を上人に報告することができた。
本堂から出ると、キャンドルジュン氏のキャンドルを別の角度で見ることができた。
一見して、無秩序に配置されているかのように見えるキャンドルだが、実は緻密なバランスの上に配置されていることに気がつく。
小さなキャンドルによって、描かれた円(サークル)を取り巻くように、大きなキャンドルがまるで柱のように置かれている。
さらに、その周りを小さなキャンドルが小人のように囲んでいる。
まるで、ストーンサークルのようだ。
この灯りが、世の闇を払い、希望の光となってほしいと切に願う。
末筆ながら、今回、沖縄 福島 ゆいまーる祭りを取材するにあたり、いわき市在住の沖縄文化研究家・新城憲一氏に全面的にご支援いただいた。本記事(祭り前夜の菩提院でのキャンドル奉納、エイサー奉納)の撮影も氏によって行われたものである。
この記事作成にあたり、データの提供を快諾してくださったことにお礼申し上げたい。