1月16日(土)、いつもお世話になっている写真館、(有)写空間の福貞浩社長にチケットをいただきまして、今回も「縄文魂(じょうもんそうる)」の演奏会に出かけてきました。
今回のステージはいわきアリオスの小ホールということで、僕にとっても初めての会場。もちろん、今回も撮影させていただきました。(縄文魂の主宰・東日本国際大学の新妻先生にお世話になりました)
なお、前回の演奏会のようすをご覧になりたい方は以下のリンクの記事をご覧ください。
風と騒(ジャワ)めぐ夏一夜-2つの大きな才能の出会いでした-
今回のコンサートは2部構成でした。
第1部は三味線ワークショップ発見の会の演奏会、第2部では、佐藤通弘(津軽三味線)、梅津和時(サキソフォーン)、五十嵐進(俳句朗読)の三氏によるコラボレーションでした。いずれも一流の芸術家。それらの音の融合がどのような空間を創り出すのか、とても楽しみでした。
いわきアリオスの小ホールは初めての会場でした。
ステージ正面に掲げられている絵画は、絵本作家、イラストレーターの沢田としきさんの作品です。
沢田さんは1980年から黒田征太郎のデザイン事務所K2に所属し、84年に独立。「アフリカの音」で第2回日本絵画賞を受賞。同じく絵本作家の長新太は「アフリカに100年くらいいたのかと思えるようないい絵である」と絶賛したそうです。「てではなそう きらきら」では日本絵本賞読者賞も受賞。これまで、絵本・共作絵本、コミック、イラスト集などの作品を50作以上発表されています。
彼は今、闘病生活のさなかにあるのですが、今回の第55回風の祭りのポスターイラストを書きあげたそうです。今回は、第2部:佐藤通弘(津軽三味線)、梅津和時(サキソフォーン)、五十嵐進(俳句朗読)のコラボレーションを中心にご紹介します。
佐藤通弘(津軽三味線)の独奏
まずは、佐藤通弘氏、津軽三味線の可能性を追求して、さまざまな音楽家とコラボレートしてきたことで知られる津軽三味線の第1人者です。
氏は語ります。
津軽三味線の演奏は即興演奏であると。
]津軽三味線と呼ばれる演奏形態が始まってから、まだ百年少ししか経っていません。日本の長い三味線音楽の歴史の中では、津軽三味線は一番新しい音楽。また、たいてい日本の民謡は一般の人々が演奏していたのに対して、津軽民謡、津軽三味線はプロの集団が演奏していました。舞台で演奏者どうしが演奏を競い合うことで、進化変化してきた音楽です。だから、津軽三味線の演奏は他の演奏家と同じ演奏をしていては一人前の演奏家と認められません。人と違う自分独自のスタイルを作っていかなければなりません。
そのために津軽三味線の演奏は、今までの三味線音楽(長唄、小唄など)では使われなかった技術、または使ってはいけないとされていた技術をも使うようになりました。津軽三味線は演奏でしてはいけないことがないのです。良い演奏をするためにはなにをしてもいいのです。タブーが無いのです。
ただし、良い演奏をすればの話ですが。だから、私にとってインプロヴィゼーションのセッションをしている時も、紋付き袴でじょんがら節を演奏している時も、まったく同じ感覚なのです。津軽三味線は三味線音楽の中のアヴァンギャルドなのです。
佐藤通弘氏と佐藤通芳氏の競演
今回の演奏会では、弟子の佐藤通芳 氏も共演しました。
]佐藤通弘氏の実の御子息であり、11歳から本格的に津軽三味線をはじめ、父親の三味線への熱意に感動し、この世界で生きようと決意。指導者と同じ弾き方、同じ音色でなければならないと言われる伝統音楽の中で、そこにこだわらず活躍する芽を持った新人である。
そして2005年3月高校を卒業するにあたり、青森県弘前市にある津軽三味線ライブハウス『山唄』で4年間の修行を積み、2009年5月より東京を拠点に活動を開始されました。期待の新人ですね。
梅津和時氏の独走(サキソフォーン、バスクラリネット)
梅津和時さんは、サキソフォーン、クラリネット奏者。フリー・ジャズを中心にロック、クレズマーなど、幅広い分野で活動しています。
出身は宮城県仙台市、高校卒業後は国立音楽大学に進学し、大学在学中にジャズの世界でプロ活動を始めます。ニューヨークでフリー・ジャズに目覚めた彼は、帰国後に生活向上委員会で活動。同バンドは、生活向上委員会大管弦楽団と改名して1980年にメジャー・デビューした。梅津を筆頭に篠田昌已、片山広明、早川岳晴等の重要人物を擁していたことで伝説になっているバンドだが、2枚のアルバムを残して解散。
1980年代は、RCサクセションのサポート・メンバーとしても有名になり、また、生活向上委員会大管弦楽団の元メンバーと共に自分のバンドD.U.B.(ドクトル梅津バンド)を結成、ヨーロッパ公演を行う。D.U.B.と忌野清志郎の共演アルバム『DANGER』も話題となった。
以後、シャクシャイン、こまっちゃクレズマ、KIKI BAND等のリーダーバンドに加え、忌野清志郎のサポート等も行いました。
ざっと説明しただけでも、素晴らしい才能と音楽世界をお持ちの方とわかりますね。実際にその演奏を聞くと、その素晴らしさが際立っていました。
三味線ワークショップ発見の会とのコラボレート
縄文魂の会が企画し、「いわき市明日をひらく人づくり事業」の助成を受け、新聞等で公募した結果、三味線を体験し、コンサートに参加するという強い意志と遊び心の持ち主たち13名が活動している津軽三味線ワークショップが結成されました。世界的に活躍する佐藤通弘氏を指導者に迎え、月2回の活動であるが、初めて手にした三味線を、指導者も驚くほどのスピードで習得しつづけている。
今回は、活動開始からほぼ半年間が経過した発表会です。練習はここまで10度程度しか行っていないが、佐藤通弘氏の熱心な指導と、真剣な練習でとても初心の方々の演奏とは思えない完成度でした。
サキソフォーンと津軽三味線の共演は意外に違和感がない。それぞれがその音楽を高めあっていました。
五十嵐進氏の俳句朗読
五十嵐進氏は喜多方市出身。二十代初めから俳句世界に入り、永田耕衣の主宰誌「琴座(リラザ)」に参加。その後「俳句」「俳句研究」「現代俳句」「関西文学」等に作品を発表している。
平成3年、句集「指」を刊行。「琴座」で「五十嵐進特集」が編まれ、永田耕衣はその中で「老木の内腔すさぶ銀河かな」「月光の冷やせる山河空は居つ」をとりあげ、「<時空>的立体感を分厚く保留して居ながら<怪異>の快感を鎮めて放射していると思える<悲痛>な人生的快感を湛えた二句」と絶賛している。その後雑誌「らん」「白」を発行。平成14年に第二句集「引首」を出版し、現在も旺盛な作家活動をつづけている。
とても素晴らしい詩を読む俳句かと思うが、それが音楽と融合すると実にユニーク。
情感がさらに増すような気がしました。俳句の「5・7・5」の独特の韻律がリズムを作っていました。梅津氏のサキソフォーンが優しく俳句朗読をリードしているような印象する受けました。
佐藤通弘氏との津軽三味線との共演は、佐藤氏の津軽三味線が、ぐいぐいと俳句朗読を引っ張っていました。
「さぁ、この音はどうだ」「さぁ、乗ってこい」と三味線が語っていましたよ。
音楽と他の芸術の融合は意外に面白いものだと感じました。
フィナーレへ向かって
演奏会が終盤に近付くにつれ、演奏はスピードと激しさを増し、迫力ある音楽を味あわせていただきました。
最後に、新妻先生が「縄文魂の会」の紹介をし、次回の演奏会の案内を行いました。
次回は平成22年7月26日に演奏会を行う予定だそうです。内容は、佐藤通弘氏のご子息である佐藤通芳氏が「津軽三味線全国大会 in KOUBE』での一般の部の優勝をし、さらに文部科学大臣賞を受賞したことを記念してのコンサートになる予定です。
今後の活躍にも期待したいところですね。