日本有数のパワースポット『日光東照宮』に行きました。

疲れたとき、くじけそうなとき・・・思いだす言葉がある。
徳川家康公遺訓
  人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くが如し
  急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし
  心に望み起らば、困窮したる時を思いだすべし
  堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え
  勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば、害その身に至る
  己を責めて、人を責むるな


徳川家康公を知らない日本人はいないだろうけど、どのような人物だったか・・・思慮したことはあるだろうか。このような素晴らしい訓戒を残せる家康公は、少なくともリーダーとして、人として持っているものは持っていたのだなと僕は思う。
その家康公の権力の象徴であり、墓でもある日光東照宮はもういちどしっかり見ておきたいと、ずっと思っていた。初めて日光東照宮へ行ったのは小学校の遠足だった。少年時代は友達とおしゃべりをするのに忙しく、ほとんど見ていなかったと思う。
思いもがけず、日光東照宮に行くことができた。夢中でシャッターを切った。稚拙な撮影だが、どうか広い心で見ていただきたい。
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東照宮へ続く石段を一歩一歩登ります。期待に胸膨らみます。


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参道は広く長い並木道。杉の巨木が圧倒的な存在感を示しています。
日光は、インド南海岸にある山で「観世音菩薩」の住処である「補陀落山(ふだらくせん)」と似ていることから、二荒(ふたら)山と呼ばれていました。いつしか、その二荒を(にこう→にっこう)と音読みして、「日光」の字を当てたとされています。
日光は太陽神の恩恵、すべて不浄を払うもの。とても美しく、清々しい地名ですね。
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参道の途中には、日光山輪王寺があります。この寺社も国宝なのですが、今回は時間の都合で見ることができません。いずれ機会があれば、必ず見てみたい。
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ちゃんと見る時間がないのがとても残念。一雨きそうな天気でもあります。
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奥に見えるのが、高さ9m、柱の直径1.2m、花崗岩で造られた日本一の石鳥居です。日本三大鳥居の一つで、他の二つは京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居です。ご鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれました。
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この石鳥居は「黒田節」という唄でお馴染みの「黒田筑前守長政」が寄進されたものです。
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東照大権現」は徳川家康公を指しています。また、「後水尾天皇」 直筆と伝えられております。
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石垣の苔を撮影してみました・・・まるで絨毯のような・・・年月の流れを感じます。
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石鳥居をくぐると、左手に五重塔があります。慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されたものです。
東照宮五重塔」の初層の蟇股には十二支の動物が彫刻されています。蟇股は一面に3個、四面で合計12個となります。しかし、五重塔は普通、お寺の建築物です。このように、神仏混合されているのはよく見られることですね。
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最初の門、表門では阿吽の型をなした仁王像が
屋根下にはたくさんの猿が彫刻されています。猿は馬を災難、病気から守るためです。長押の上には「猿八態」の彫刻が八面で施されています。人間の一生を、猿の「誕生から妊娠」までの一生に、置き換えたものといわれています。その中でも左から2番目の「見ざる・言わざる・聞かざる」である「三猿」の彫刻は、もっとも馴染み深いものですね。2頭の象の彫刻と見ざる言わざる聞かざるの彫刻は向かい合っております
邪悪者の進入を防いでおります。神社である東照宮の表門の正面が仏教の仁王が守り、背面を神道の狛犬が守るのはなんとも面白いですね。
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しかし、見事な造形です。動き出しそうです。
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上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。
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上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。相撲取りのような体と、袋のような耳が面白いですね。
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さて、東照宮で一番有名な建物、神厩舎にきました。神の乗り物である神馬(しんめ)の厩舎です。きらびやかな彩色や彫刻で飾られた東照宮にしては素木造りの素朴で飾り気のない建物で、屋根は前切妻・流屋造りです。左右の屋根の長さが違うという他所ではめったに見れない構造です。
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長押の上には「猿八態」の彫刻が八面で施されています。人間の一生を猿の「誕生から妊娠」までの一生に、置き換えたものといわれています。その中でも左から2番目の「見ざる・言わざる・聞かざる」である「三猿」の彫刻は、お馴染みのものです。2頭の象の彫刻と見ざる言わざる聞かざるの彫刻は向かい合っております。
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独り立ち前の猿。まだ座っているけども、将来の飛躍が期待できます。
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青雲の志を抱いて天を仰ぐ。若いうちは無限の可能性がある。何にでも挑戦せよとの意がこめられています。
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人生の崖っぷちにおいても、励ましてくれる仲間がいる。この彫刻はどこかさみしそうだけど、一番好きだな。
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神厩舎の前では、「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿のポーズで記念写真を撮る方がたくさんいました。このアイディアはなかなか良いですね。外国人の方もたくさんいらっしゃってました。
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神厩舎の横には、内番所があります。すごい人だかりでした。
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内番所では、お守りや御神籤(おみくじ)がありました。多くの方が御神籤を引いて運試しをされていました。
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陽明門の前は、修学旅行・遠足定番の記念写真撮影スポットです。僕も小学校の遠足で撮影したもらったのを覚えています。左手には御水舎があります。
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これは輪倉です。
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趣深い建物が見えます。陽明門をくぐったら、見てみましょう。東照宮の中にはたくさんの灯篭がありました。121基もあるそうです。ちなみに「陽明門」内は「東福門院(秀忠の娘、後水尾天皇の中宮)」の灯篭のみで、それより12段下がった位置に「譜代大名」、さらに21段下がったところに「外様大名」が寄進した燈籠が安置されています。
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鐘楼ですね~。2階建て構造になっており、下部は袴腰形をし、階上には朱塗の高欄を周囲に廻らせた「袴腰形鐘楼」です。さすがに東照宮の鐘楼です。妥協のない造りとなっています。木鼻も写っています。象かな、獏だと思います。
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写真の入り口から入って、2階にある鐘を衝くのです。やってみたいと思いませんか?
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この「回転燈籠」はオランダ献上の九角形の燈籠です。あまり調べずに製作されたらしく、九つの葵紋が逆葵紋になっています。うう~ん、これはやっちゃったね。これを受け取る将軍家も懐が深いといえるかな。でも、美術品としては本当に見事ですよね。
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「陽明門(日暮門)」は高さ11m、間口7m、奥行4mの八脚門です。屋根は四方に軒唐破風をつけた入母屋造、三間一戸の「楼門」です。
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装飾の彫刻で多いのは唐獅子、龍、鳳凰、麒麟、竜馬、獏等の想像上の動物、植物では菊、牡丹などがあり、孔子、孟子をはじめ、中国の故事や人物など色んな彫刻が施されています。彫刻品で門を作ったと言えるほど数多くの彫刻は圧倒される迫力で、そのため、日が暮れるまで眺めていても見飽きないため「日暮(ひぐらし)門」とも言われます。
通路の天井には狩野探幽の昇り竜、降り竜が描かれています。
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陽明門を守護する随身像です。
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陽明門をかこむ回廊です。豪華絢爛。さまざまな彫刻が施されています。
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陽明門をくぐって、裏側から見てみました。ちなみに、中央の女の子が撮影している柱だけ、模様が他の柱とは逆になっています。「魔よけの逆柱」と言われています。
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唐獅子など、さまざまな神獣が門を護ります。
20100726_nikko-58.jpg  神域のようすです。向かって、右手の本殿(拝殿・神殿)は平成の大改修で、外からはその姿をはっきりと見ることができません。とても残念ではありますが、改修をきちんと施し、その美しさを維持してきたからこそ、世界遺産としてその価値を保ってきたのです。
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拝殿の四方軒唐破風の屋根の正面と背面には、夜間のガードマンとして百獣の王・虎よりも強いという「恙(つつが)」という奇獣を当てています。さらに昼間のガードマンとして東西に「」を当てています。完全な護りですね。
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神輿舎です。中には黄金に彩られた神輿が三期あり、天井には天女が美しく舞っていました。
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奥宮に続く「坂下門」の東回廊の蟇股には有名な名工「左甚五郎」作と伝えられる「眠猫」があります。奥社には鼠一匹通さないための「猫」であるのに居眠りとは職務怠慢、というよりそれだけ平和なんですね。天下泰平とはよく言ったものです。
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眠猫の裏側には雀がいます。雀が近づいても大丈夫なほど、おとなしい猫さんということなのでしょう。
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さて、一番楽しみにしていた場所に行きます。家康公の眠る奥宮です。
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神気に満ちた参道を歩んでいくと、奥宮にたどり着きました。拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神のお墓所です。
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この狛犬・唐獅子は、松平右門大夫正綱秋元但馬守泰友の両氏によって寄進されたものです。両氏は家康公の遺臣で寛永年間の造営の功により、特別に寄進を許可されたそうです。
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奥宮拝殿です。奥宮拝殿は寛永13年(1636)に建てられたもので、桁行5間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き、前後に唐破風を設えています。外壁は銅板を貼り、その上から黒漆が塗られているため落ち着いた雰囲気があります。背後にある鋳抜門、奥宮と続きます。この拝殿には将軍以外昇段参拝が許さなかったそうで格式の高い建物でした。日光東照宮奥宮拝殿は国指定重要文化財に指定されています。
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奥宮は初代将軍徳川家康の墳墓の上に建てられた宝塔で、当初は木造でさらに石造に改められましたが天和3年(1683)に新たに銅製に鋳造されています。宝塔は石造りの玉垣の内部に八角九段の基盤を築き、その上に高さ5mほどもあります。宝塔の製作者は幕府お抱えの鋳物師衛椎名伊豫。日光東照宮奥宮は国指定重要文化財に指定されています。
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前面には寛永20年に朝鮮から献上された香炉、燭台、花瓶、三具足が備え付けられています。
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家康公の墓所の傍らには、古木『叶杉(かのうすぎ)』があります。樹齢600年と言われるこの古木『叶杉』は諸々の願い事をこの杉のほこらに向かって唱える願い事が叶うと言い伝えられています。
もちろんしっかりとお願いしてきました。
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背後にある鋳抜門です。霊的な守りなのでしょう。
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帰り道で、馬車をひく馬に出会いました。可愛らしいですね。
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以上、今日はここまでです。また、日光を訪れたときには他の名所もご紹介したいと思います。(写真は蕎麦屋さんでいただいた湯葉です。)