昨年10月某日、福島県いわき市の江名地区・中之作周辺を徒歩で探索しました。
中之作は漁業で栄えた港町、海辺と住宅地が近く、生活の漁港だった。大型の船も係留されることがあり、すばらしい漁港風景を見ることのできる町だった。
入江を利用して作られたこの漁港は、その北側の道をたどると防波堤周辺を歩くことができる。かつては釣りなどをしている人を見ることができた。
こうした静かな漁港は、今の日本にこそ必要なものであると思うのだが・・・失われつつあるものだ。
雨が降る江名・中之作港前・・・港を歩くのは、午後のサイクリングにまわして、町を歩いてみる。
中之作の干物といえば、丸源水産の『縄文干し』。
住居の風通しの良いところに魚を吊して保存したという、縄文人の知恵から名付けられた。常磐沖で水揚げされる新鮮な魚を穫れたてのうちに頭と内蔵を取り除く。そして、活性水『バイオセラミック水』で洗い流すことで生臭さがなくなるという工夫もされている。添加物は一切使用しないこだわりの逸品だ。
その製造元がここにある。
中之作の古い建物に使われているペンキは、何か共通する雰囲気がある。
もしかして・・・・きっとそうだ。
船舶に使われるペンキが建物にも使われていると気が付いた。
少し歩いただけでも、このような古民家に出会う。
この建物の右奥には「うだつ」が備わっています。
「うだつ」は隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のことで、これを造るには相当の費用がかかったため、裕福な家しか設けることができませんでした。 すなわち「うだつが上がる」ということは富の象徴であり、当時の繁栄を物語っています。面白いことに、中之作の民家は片方だけ「うだつ」を設けているようです。
残念ながら、解体撤去の意思表示票が貼られていました。「うだつのある街並み」も失われつつあります。
土佐屋酒店を見学
中之作プロジェクトの豊田善幸氏の紹介で、中之作に残る古民家の一つ、土佐屋酒店さんを見学できることとなった。やはり写真左奥には「うだつ」がもうけられている。1階に比べて2階の天井が低く作られているのは、日本家屋の特徴だ。築100年を超える日本の伝統建築はどっしりとした迫力があった。
ご主人は気さくな方。江名の浜言葉を交えて、この酒屋の歴史を話してくださった。
江戸時代に基礎が作られたという酒蔵を見学させてもらえることとなった。今は倉庫として利用されている。外壁はトタンでおおわれているが、古き良き伝統を感じさせる素晴らしい蔵だ。
重くぶ厚い扉に備え付けられた鉄輪
造られた年号の鬼瓦。なんと大正十三年だ。
門扉の錠にも年季を感じる。時代劇でしか見たことがないものだ。
店主はめずらしいものを見せてくれた。これが何かお分かりになるだろうか。電燈にかける電燈の笠だ。
『國防電燈蓋』だ。
戦時中、空襲の目標にならないように、各家庭では電燈の使用が制限された。深い傘で電燈を覆い、明かりが広がらないようになっている。また、黒い布で窓を覆い、明かりが外に漏れないようにもしたという。
この傘には、各家庭で電燈を使う時間が制限されたことを示す札が貼られていた。古くからこの町で生き続けてきたからこそ残って来た物たちだ。
土佐屋酒店の店先にある酒類自動販売機には、運転免許証による年齢確認機が据え付けられていた。酒類や煙草など年齢確認が必要な商品の自動販売機につけられている。
ふたたび江名の町を歩く
江名の町にはトタンで外装された建物が多くある。建物の修理も船大工が行うことが多いため、船舶に使われるペンキが使われることがある。そのため、他の地域であまり目にすることのない鮮やかな色彩の建物になる。素敵な街だ。
錆びたトタンが素晴らしい味を出している。なんとも言えない情景だ。
トタンと鉄板で外装された倉庫。建物に浮いた錆びが年月の流れを物語る。
空色の壁が印象的な古い医院に出会った。木造校舎を思わせるような、どこか懐かしい感じがした。
入口に回ってみたが、ベニヤ板で玄関がふさがれていた。長く江名の町の医療を見守ってきたのだろう。
国民健康保険適用の医院であることを示す刻印が柱にあったり、木枠に曇りガラスの窓になっていたり、雨戸が木で作られていたり・・・。ノスタルジックな雰囲気にあふれていた。
江名の町を散策する途中、解体が始まった古民家があった。
現在、被災住宅の解体費用は自治体が負担することになっている。被災し、解体しなければならない建物の費用を自治体が負担することで、地域の復興を後押ししたい狙いがある。しかし、一方で修繕すれば使えそうな家屋も、「今ならば無料で解体できる」という理由で、次々に壊されてしまっている現実がある。
たしかに、被災した住宅に住み続けたくないということは、当然の感情だ。しかし、文化的にも貴重なこれらの建物を失うことは、地域にとって大きな損失であるように思える。
古い町並みを100年200年保全していくことは、たやすいことではないが、可能な限り修繕し、残していけないかと思う。
100年間もその街並みを保ってきた江名の町だ。その街並みを保全していくことができれば、「震災を乗り越え、震災に負けなかった町」という新しい価値が、江名の町に加わるのではないだろうか。
伊勢盛醸造元 近藤本家伊勢屋を見学
江名の町には、茅葺の建物もあった。造り酒屋だった。
煉瓦造りの蔵も敷地にあった。意外にもいわきには煉瓦でつくられたものが数多くある。機会があれば、ご紹介していきたい。
中之作プロジェクトの豊田善幸氏が声をかけると、おかみさんがこころよく庭を案内してくださった。江名の人たちは本当に心があたたかいと思う。突然に訪れた訪問者に迷惑そうな顔一つせず、話をしてくださる。
この家の歴史や戦時中に使われた防空壕などについて話してくださった。
名残惜しいが、一行は再び町歩きにでた。
石で作られた屋根瓦に、雨で濡れた金木犀の花が落ちていた。
今回の町歩きは、中之作プロジェクトの企画によるものだ。
「311の東日本大震災を経験し、江名・中之作地区も例外なく、大きな津波に襲われた。しかし、甚大な被害を受けたいわき市の中にあっては、江名・中之作は奇跡的に津波の被害が大きくならずに済んだ。先人が残した住まいに対する防災の知恵があったはずだ。それを学びとろう。」という狙いがあった。
今回の町歩きで感じたことがあった。東日本大震災による津波の被害により、古き良き港町の情景は、東北地方からほぼ失われてしまったように思う。福島県においては、まさに江名・中之作にしか残されていない。ここでしか見ることができないものにあふれていた。これは貴重な観光資源になりうるものばかりだ。
この街並みを保全し、残していくことは、いわきの誇りを守ることになるものだと信じたい。
震災からの復興は、町づくりと一体となって進んで行くべきものであると考える。今後も中之作プロジェクトでは、様々な企画を行っていくようだ。ご興味を持たれた方は、ぜひともにアクションを起こしていただきたいと願うものである。
参考リンク
中之作プロジェクト‐豊田設計事務所‐