東北地方太平洋沖地震(M9.0)による四倉町の被害~必ず復興します~

東北地方太平洋沖地震から2日。
自宅のようすを見に行くついでに少し足を延ばして、四倉地区を見てきました。

被害状況について確かな情報がなかったこともあり、かなり覚悟して見に行きました。

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国道6号を北上する車内から一枚撮影。
これ以下の写真は、過剰な反応を誘発する危険を考慮して、一時掲載を取りやめたものです。

しかし、物事は正しく伝えることが大切であり、不正確な報道憶測によるデマ誤解を避けることがなにより大切であるという観点から、推敲したうえで再掲いたします。 そして、四倉町の復興を祈念したいと思います。
取材して感じたことは、四倉町の被害は津波によるものが主であることは間違いないのですが、建物の1階部分が大きな被害を受けたが、2階部分については無事である。そういうものが多くありました。専門的には見方が変わるかもしれませんが、大きな痛手には違いないが決して復興していけないものではない。ましてや四倉町は漁師町、海の男たちはこの程度ではへこたれるものではないでしょう。
町全体が破壊されているわけではありません。とくに津波の押し寄せてこなかった四倉高校より北の地域は、地震の被害以上のものは生じていないものと思われます。(地震による被害の程度は、平の街とそう変わらないはずです。)
ただ、町民の方が受けた心の傷は分かりません。精神面のサポートは必要かもしれません。
しかし、 四倉町はきっと支え合って、確実に復興していけると信じます。
四倉町のお祭りは素晴らしかった。諏訪神社例大祭の海中渡戸、よつくら花火大会、サンドアートフェスティバル、四倉ねぶた祭り、これらの楽しいお祭りを毎年見たい!
現在、福島第一原子力発電所では、事故が発生しておりますが、この事故に関しては、特に正しくない報道憶測によるデマ誤解により、救援活動に支障が生じていると言わざるを得ません。デマによる救援の遅れは人災以外の何物でもないと思っております。
現在のいわき市に関しては、いわき市の公式ホームページやFMいわき(ラジオ、ホームページ)にて、正確な情報が掲載されております。そちらをぜひご活用ください。 

  • いわき市公式ホームページ(トピックス)
    1.放射線量についてもいわき市ホームページに正確な数値が記載されています。
    2.市民生活に有用な情報が多数あります。
  • SEAWAVE FM  いわき
    1.公式ホームページには、給水、炊き出しの情報など有用な情報があります。
    2.FMいわきにおよせいただいた安否連絡も掲載しています。


なお、支援物資に関してはいぜん厳しい状況が続いていることは事実です。皆さまのご支援をよろしくお願いします。



四倉消防署前交差点

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ここは国道6号線、四倉消防署前交差点です。きちんとアスファルトで舗装された2車線道路だったのですが・・・ご覧の通り、津波で押し寄せた砂で、車線を示すラインも見えなくなっています。さて、ここから客観的な事実を示していきます。
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6号線はまんべんなく砂でおおわれていました。厚さは数cm~5cm、場所によってさまざまです。かなり広い範囲に津波が押し寄せたことが分かります。
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四倉海水浴場近くに停めてあったトラックの上に船が乗っかってしまっています。つまり、この地点での津波はトラックの荷台よりは確実に高かったと分かります。
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四倉のパン工場(今井製パン)に隣接する住宅に、複数台の自動車が集まるように突っ込んでしまっています。この場所は交差点近くですので、津波の流れが交差点へ合流する形で集まっていったためと推測されます。
また、積み重なっている車もあることから、車一台分よりは高い津波になったと思われます。
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交差点を少し北へ歩くと、海岸線沿いの住宅が、津波によって大きな被害を受けていました。
注意深く見ていると気がつくのですが、1階部分の津波の被害は確かに大きなものです。しかし、2階部分にまで被害がおよんだ家屋は、木造建築でも少ないように見えました。
町のすべてが破壊されてしまったわけではないと言えます。
大丈夫!大きな痛手を受けましたが、これでしたら復興していけると思います。

 
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四倉消防署交差点前で、津波の被害にあった高級スポーツカー。後部から屋根にかけて、津波の大きな力で押しつぶされています。津波が押し寄せてきたら、乗り物の中でやり過ごすことはかなり難しそうです。 
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『道の駅四倉港』の建物も大きな被害を受けています。ここは『よつくらふれあい物産館』を改装して、昨年リニューアル・オープンしたばかりでした。お値ごろな価格で新鮮な海鮮をいただける『草の根』、本格手打ちそばの『川内高原そば屋』など、魅力的なお店が入っていました。海鮮丼が食べたくなった時、良く出かけたものでした。とても残念です。
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入り口部分はアルミのサッシが捻じ曲げられ、ガラスがバラバラです。津波のエネルギーが大きかったのだとわかります。 
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そして、四倉海岸へ向かって歩いていきます。
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ここは芝生が広がる公園だったところです。土日ともなると、子どもたちとお父さんお母さんたちで、それはにぎやかになったものでした。ちょっとした遊具もあって、海で遊び疲れた子どもにご飯を食べさせ、 ちょっと遊ばせていく。そんなことができたところです。
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倉庫市場の中には電線を引きこむための電柱が、真っ二つに折れていました。隣の電柱が津波で倒されると、それに引っ張られて大きな力が加わったのだと思います。
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この船は漁に使われていたものではありません。先ほど紹介した芝生広場に、子どもたちの遊具として置かれていたものです。この船に乗って船長のような気分を味わえたと思います。その船もこうして流され、道の駅四倉港の建物を大きく傷つけました。その結果、さらに大量の海水が建物内に流入したと考えられます。
四倉町の住宅街へ進みます。
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さて、四倉海岸から消防署前交差点を横切って、四倉の市街地へ進んでいきます。
ここは今井製パン裏の住宅地です。津波による大きな被害を受けています。しかし、良くみてみると、ここでも1階部分は大きな被害を受けているものの、2階部分まで被害を受けた建物は少ないように見えました。
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特に自動車は大きな被害を受けてました。
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津波による大きな爪痕を受け、悔しい気持ちはあることでしょう。しかし、四倉の人はもう復興に向けて歩み始めていました。道をふさいでいる自動車を重機で移動し、瓦礫を少しづつ片付けていました。
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誤解しないでいただきたいのです。
津波の被害が大きいことは事実ですが、悲観しないでください。海岸から離れるにつれて水位は低くなっています。町全体が津波の被害にあったわけではありません。胸の高さまで水が来たことを示す、泥の跡が建物についています。
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先ほどの建物から、30mほど奥に入ったクリーニング店です。津波の位置を示す泥の跡は、ひざ上のあたりです。このように、海から陸に入るにつれて津波の高さは低くなっています。
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クリーニング店の隣に併設されているコインランドリーです。大量の砂が海から運ばれ、水槽の下で腐った砂のような悪臭がしていました。
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四倉町の消防団や消防署は町を守るために、フル稼働でした。
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四倉のローソンです。看板を立てている柱についた泥の跡で、この場所の津波の高さを推測すると、ひざ下あたりでしょうか。このように津波の高さはどんどんと下がっていったことが分かります。
国道6号線の被害状況
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国道6号線の『クロネコヤマト』やお食事処『やま角』のちかくです。片側車線が海から運ばれたものでつぶれていました。
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お食事処・酒処『和』、このお店は私がいわきに移り住んで間もないころ、たまたま入った記憶があります。
カツオのお刺身や鳥の唐揚げなどをいただきました。夜の時間は酒処になるのでしょうけど、きちんと定食を提供してくれました(飲酒運転はしてません・・・念のためお断りしておきます。)丁寧なお料理で美味しかったのを覚えています。きっと出直されると思いますので、その時にはお食事にうかがいたいと思います。
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四倉デイサービスセンターです。こちらの方々が安全だったかどうか心配です。
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四倉港には製氷工場や市場もありました。津波の被害を受けたことは間違いないところですが、再建されることをお祈りしたいと思います。なにしろ、四倉で水揚げされるホッキガイは最高の逸品でしたから。
蟹洗温泉に向けて進む
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さらに蟹洗温泉に向けて進んでみます。 このあたりから、陸に打ち上げられた船舶を見かるようになりました。この船は船体が真っ二つになっていました。
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視線を右手に向けると、倒壊した古い木造家屋がありました。1階部分がさらわれてしまって、崩れるしかなかったのでしょう。
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蟹洗温泉が奥に見えます。国道6号線のこの地点は海岸からすぐ近くにあります。船舶が塀(へい)を超えたのですから、3m近い波が来たのだと思います。打ち上げられた船舶が道路を越えてしまい、片側車線をふさいでいます。
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四倉町には漁で生計を立てている方がいます。これらの船舶の損害額がどのくらいなのか想像もつきませんが、できるだけ小さい被害でとどまり、生活が再建できることを祈ります。
いわき蟹洗温泉
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太平洋健康センターいわき蟹洗温泉は、大衆演劇が楽しめる温泉で、日帰り、宿泊、宴会のできる健康センターです。天然温泉と海水を使った10種類のお風呂で、特に波立海岸に建つお風呂から見える海景色で心と身体をいやすことのできる温泉でした。ここも大きな被害を受けていました。
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海に面した浴場の窓はすべて割れています。 大きな被害を受けていました。
波立海岸へ進みます。
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波立海岸のシンボルである弁天島、そこへ渡される弁天橋も津波のエネルギーで壊れていました。余震の可能性がありますので、近くに寄ることはできません。
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夏の間、海の家として大活躍する波立食堂です。津波により大きな被害を受けてしまいました。
以上、取材して感じたことは、四倉町の被害は津波によるものが主であることは間違いないのですが、建物の1階部分が大きな被害を受けたが、2階部分については無事である。そういうものが多くありました。専門的には見方が変わるかもしれませんが、大きな痛手には違いないが決して復興していけないものではない。ましてや四倉町は漁師町、海の男たちはこの程度ではへこたれるものではないでしょう。
町全体が破壊されているわけではありません。とくに津波の押し寄せてこなかった四倉高校より北の地域は、地震の被害以上のものは生じていないものと思われます。(地震による被害の程度は、平の街とそう変わらないはずです。)
ただ、町民の方が受けた心の傷は分かりません。精神面のサポートは必要かもしれません。
しかし、 四倉町はきっと支え合って、確実に復興していけると信じます。
四倉町のお祭りは素晴らしかった。諏訪神社例大祭の海中渡戸、よつくら花火大会、サンドアートフェスティバル、四倉ねぶた祭り、これらの楽しいお祭りを毎年見たい!
四倉町の復興を祈念します。 

現在、福島第一原子力発電所では、事故が発生しておりますが、この事故に関しては、特に正しくない報道憶測によるデマ誤解により、救援活動に支障が生じていると言わざるを得ません。デマによる救援の遅れは人災以外の何物でもないと思っております。
現在のいわき市に関しては、いわき市の公式ホームページやFMいわき(ラジオ、ホームページ)にて、正確な情報が掲載されております。そちらをぜひご活用ください。 

  • いわき市公式ホームページ(トピックス)
    1.放射線量についてもいわき市ホームページに正確な数値が記載されています。
    2.市民生活に有用な情報が多数あります。
  • SEAWAVE FM  いわき
    1.公式ホームページには、給水、炊き出しの情報など有用な情報があります。
    2.FMいわきにおよせいただいた安否連絡も掲載しています。


なお、支援物資に関してはいぜん厳しい状況が続いていることは事実です。皆さまのご支援をよろしくお願いします。
 
 

39 Comments

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    Twitterでブログを知りまして拝見させていただきました。四ツ倉出身の者です。幸いにも四ツ倉にいる両親、親戚とも無事でした。連絡ほとんどとれない中、情報も少なく、自分が育った町がどーなってしまったのか、Twitterにあがる情報だけが頼りでした。今は更に原発の問題が差し迫っていて、四ツ倉はどーなってしまうのか、不安ばかりです。貴重な情報ありがとうございました。

  2. SECRET: 0
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    はじめまして。久之浜出身のものです。
    四倉の写真、言葉になりません。いわきに帰省したら四倉港や蟹洗温泉にもよく立ち寄ってましたから、涙が出てきます。
    久之浜にすむ両親は湯本に避難しています。薬等を取りに自宅へ戻る事を考えていますが、波立以北は立入禁止区域になってしまったんでしょうか?
    久之浜は屋内退避指示の出たエリアにかかるかどうかの場所と認識していたので、ショックを受けました。
    避難所を出て他県の親戚宅へ一時避難する条件を「自宅に戻って薬や貴重品を取ってから」と言い張る両親をどう説得したらいいか…途方にくれます。

  3. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    とくさん、この度の震災、御無事でナニよりです。
    報道では、仙台・三陸のあまりの被害の甚大さに いわき市沿岸部の壊滅的ダメージは出て参りませんが、いわき地方も被害の有様は筆舌に尽くしがたいほどですよね。
    実は、私の居る中央台・郷ヶ丘地区は建物の倒壊も無く、平穏さが見られたがために当初 被害のあまりの大きさに気が付いておりませんでした。
    それが、街に出て古い建物が傾き傷つき、更に沿岸部の津波による被害の大きさに声も出ませんでした。
    地震による震災・・・と言うよりも、津波による震災だったのかもしれませんね。
    とくさん、フラオンパクで御一緒する楽しみは消えましたが、いつか落ち着いたら写真談義などで御一緒いたしましょう。
    「いわきの復興」・・・その日まで頑張りましょうね。

  4. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    四倉出身で、なおかつ被災当時四倉にいた者です。
    車が建物に2、3台つっこんでいるところは私も見ました。初めて見たとき現実だと受け止めることが出来なかったです。
    私の家は海から徒歩10分のところですが家の前の通りまで海水が来ました。そして砂埃がひどかったです。
    現実親戚のいる新潟に避難していますが原発が解決したら復興作業をしたいと思っています。

  5. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    私の祖母・両親が久之浜で被災しました。
    その後、平市街地へ避難できています。
    見慣れた風景の変わり果てた姿、ショックを受けました。
    現在原発の問題などありますが、久之浜だけではなく、
    その近隣の街の復興にも協力していきたいと思います。
    写真という形での情報、本当にありがとうございます。

  6. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    全く被害にあっていない私が何を言っても不謹慎な気がして、
    言葉をかけようにも気休めな言葉しか出ない気がして、
    それでもテレビやネットの映像から目を離せなくて、
    とくさんの写真にリアルにおこっていることの現実が見えて、
    やっぱり何も言えなくなって、ゴメンナサイ。
    とくさんが無事ということがわかって、ホッとしています。

  7. SECRET: 0
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    四倉で生まれ育ったものです。
    今は神奈川に住んでいて、実家の両親は無事を確認できました。
    四倉の状況がテレビでは報道されず、ずっと気になっていました。
    写真を見て、私を育ててくれた町の変わり果てた姿にショックを受けております。
    しかし現実を受け止めないと、もっと悪いことを想像していまうので大変参考になりました。
    今はまだ動けずにいますが、復興が始まり次第町への恩返しができるよう今は準備をしています。
    まだ余震が続きますのでお気をつけください。

  8. SECRET: 0
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    はじめまして、mixiでこのブログを知り拝見させていただいております。両親の祖母四倉に居るので状況が分かり助かりました。祖母は二人とも今関東にたまたま来ていたので無事ですが、家[e:112]が気になり
    貴重な写真ありがとうございます。

  9. SECRET: 0
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    mixiから辿って拝見させて頂きました。
    四倉出身のものです。現在は東京に住んでおります。
    実家は津波被害に逢いましたが、両親は無事避難できました。
    生まれ育った町の変わり様に言葉もないです。
    常磐道での避難可能な件、ツイートさせて頂きました。
    原発の件やライフラインの問題もまだあるかと思います。
    どうぞお気を付けください。

  10. SECRET: 0
    PASS: 4e3c5c3024f1fdaa0e783126b6310339
    はじめまして。神奈川在住の者です。
    四倉は祖父の家がある私の大切なふるさとです。
    家族は無事ですが情報が乏しくて気になっていました。
    貴重な情報をありがとうございます。
    原発や津波で酷い状況でもやっぱり帰りたい場所です。
    復興に取り組める日が早く来ますように。。

  11. SECRET: 0
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    >marble5さん
    お元気ですか?
    非被災地ですか・・・良かったです。
    大丈夫です。普段通り元気でお過ごしください。
    元気な皆さんが元気をなくされると、日本に勢いがなくなります。
    日本の経済を止めてはいけません。しっかり稼いで、日本を支えてください。
    よろしくお願いします。
    >花織さん
    ご実家が四倉ですか、心中お察しします。
    皆さんの温かいメッセージで震災者はだいぶ救われると思います。
    できる形で、ともに手をとり立ち上がりましょう。
    今はそれまで力を蓄えてください。
    >悠【ゆう】さん
    ご尊母さま、ご無事ですか・・・それは不幸中の幸いです。
    心に受けた傷が心配です。支えてあげてください。
    四倉でも被害の少ない地域もあります。希望は捨てないでください。
    頑張りましょう。
    >hisanohama****さん
    本当に激甚災害でした。津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。
    蟹洗温泉付近は本当に心配で、すぐにも見に行きたかったです。
    今後、復興に向けて、頑張っていきたいと思います。
    >てつさん
    田舎の惨状・・・お心を痛めていると思います。
    しかし、命あってのことです。命さえあれば、再び立ち上がれます。
    そのときにはよろしくお願いします。
    >めひかりさん
    故郷の惨状・・・悔しいですよね。
    自然の脅威、我々の無力さを痛感します。
    しかし、諦めたわけではありません。
    ともに手をとり、頑張りましょう。

  12. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    初めまして。四倉の写真、拝見させて頂きました。母の実家が久之浜にあり、親戚も四倉にも多いのですが、奇跡的に全員の無事を確認出来ました。色々調べて情報が少ないのでたすかります。
    私は生まれも育ちも群馬県なのですが、私の知っている限りのいわきの方々はみんないわきを、東北を愛しているように見受けます。出来る事ならいわきの復興に関わりたいと思っています。
    今日も寒いし、原発の事も不安多いと思いますが、離れている私たちもこころはそこにあると思います。一緒にがんばりましょう。

  13. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    よつくらは亡母の故郷、わたしの幼少時の楽しい思い出の町。
    大災害での津波の町の被害はおかげさまでよくわかりました。
    平へ避難している親戚の電話のとおりです。 とくさんの
    だい功績です。 今後ともよろしくおねがいいたします。

  14. SECRET: 0
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    とくさん様
    はじめまして。岩手在住のものです。
    こちらに掲載されている画像にある「池田園」というお茶屋さんの安否を知りたいのですが、どなたかご存知ではないでしょうか?
    池田園のご主人とは親戚関係なのですが、地震直後から連絡が取れず、なにか手がかりがないかとネット上を探していたところ、こちらがヒットした次第です。
    画像を見る限り、店舗に大きな被害がないことは確認できましたが、店舗の前にいる方々の顔が小さいため、識別ができませんでした。
    この写真を撮られたとくさん様、また、こちらをご覧になっている皆様の中で何か情報をお持ちの方がいらしたら、教えてください。また、もし直接池田園と連絡がとれる方がいらっしゃいましたら、岩手まで連絡をするよう伝えていただけたら幸いです。
    最後にこちらをこのような形で利用してしまうことをお許しください。
    以上、よろしくお願いします。

  15. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    とくさん。こんばんわ。
    DMありがとうございました。とくさんのblogはよく拝読させて頂いています。
    僕の生まれ故郷土浦も影に隠れた被災地です。そして父(4歳の時に他界したので余り記憶にないのですが)の故郷は霞ヶ浦の畔出島村。父の墓は山の中にあり、崖崩れ等がないか心配です。近いうちにこの目で見てこようと思っています。
    そして親類で一番気掛かりなのが妻の母方の祖母の家が銚子の外川で漁師を営んでいます。幸い家は高台にあり、被害は無かったのですが、漁船が津波で一度道路まで持ち上げられ引き波の時に幸いにも港まで戻されたとの事でした。しかし、船底にダメージがあり、修理をしないと漁には耐えられないかもとの事でした。伯父は一昨年夏に漁で事故に遭い九死に一生を得て、懸命なリハビリの末、最近やっと漁に出られるようになったばかりでした。
    とくさんの地元に比べればまだましなのかもしれませんが、北海道~千葉の湾岸でまだ知られていない被害もあることだと思います。
    今の自分に何が出来るのか?自問自答を繰り返しています。
    復興という言葉も安易には言えないかも知れません。
    しかし、働き盛りである、我々世代が頑張って復興を実現させて行かなければならないと考えています。
    お互い頑張っていきましょう。自分が頑張る事で復興が現実になる日まで。

  16. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    いわき市平から16日に横浜の親戚宅に避難してきました。
    13日に四ツ倉を自分自身の目で見ました。
    ただただ立ち尽くすばかりで、体が硬直しました。
    あの惨劇は、同じいわき市民といっても、やはり平とは雲泥の差で、
    今後話をする時も、相手によってかなり一言一言選んで慎重に話さないと、
    神経を逆なでするほどの状況だと思いました。
    しかし、地元の事はやはり地元の人達の情報がいちばん正確です。
    地元を一時的に離れた人達も、いわきには戻りたいと思っているはずです。
    みんな遠くから、いわき帰れる日を探ってます。
    私も、毎日マルトの開店状況をチェックしてます。
    横浜も米はどこも売ってません。
    牛乳も売ってません。
    ガソリンも売ってれば、1キロ位並んでます。
    一日も早い行政による安定化を望みます。

  17. SECRET: 1
    PASS: ec6a6536ca304edf844d1d248a4f08dc
    震災時に四倉町で津波にあった者です。
    このサイトを見つけて最初に思ったのは、事実を伝えられるのは当事者だけじゃないということでした。
    私も写真をやっていて、地元の写真を色々撮っていましたが震災後、写真を撮る余裕が全然ありませんでした。
    周りの状況もわからず、自分の家の状況を判断するのが精いっぱいでした。
    再度の余震、津波警報による避難、原発の放射能 3重苦です。
    何がつらいかというと、数時間置きに生死の判断をしなければならないことです。
    私は結局茨城県に避難しましたが、まだ、色々な理由で四倉町にとどまっている人達が居ます。
    このサイトで情報を出すことに、躊躇されていることと思いますが
    私個人の考えでは、出来る限り過不足無くまずは知ってもらうことは大事だと思います。
    また、池田お茶屋さんの情報ですが、あの辺で亡くなった方は居なかったと思いますので
    避難所に居らっしゃると思います。ただ、避難所はテレビもなく周りの情報がとにかく入りません。原発の件もあるので避難所の方は他県に移動されている可能性は高いです。

  18. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    >あっちさん
    僕が悩んだのはまさにそのことなのです。
    同じいわき市民として、四倉町の痛手は他人事ではいられない。受けた痛手の大きさはは人それぞれであり、筆舌に尽くしがたい傷を受けた方もいるに違いないのです。
    しかし、どうしても伝えたいことがありました。
    撮影した写真を出さないことは、写真家にとって、口を噤んでいると同じだと思うのです。何を語るか・・・とても難しい問題です。
    >石原 聡(sanoji42)さん
    メッセージありがとうございます。
    今度のことで報道とは何なのか、とても考えさせられました。そして、写真を撮ることについての責任も痛感しました。できることで、頑張っていこうと思います。いろいろとありがとうございました。

  19. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    >kumasuka様
    お探しの長谷川さまの安全が確認できたと聞き、大変うれしく思います。思わずうるっときてしまいました。
    [色:FF0000]もう一方、“波立食堂”で働いている“皆川さん”の安否情報を募ります。[/色]
    ご無事の連絡が聞けることをお祈りします。
    >佐藤さま
    「池田園」というお茶屋さんの安否はいかがだったでしょうか。メールでのやり取りをさせていただきましたが、皆さまからの有力な情報が寄せられることを祈ります。
    [色:FF00FF]
    [太字]以下のいずれかの方法での情報提供を募ります[/太字]
    ①メールにて直接情報提供していただく。
    ②コメント欄に「管理者にだけ表示を許可する」にチェックを入れていただいて、ご投稿ください。その場合には、私が仲介してお伝えいたします。
    ③メールフォームから私宛に連絡していただく。この場合にも、私が仲介してお伝えいたします。[/色]

  20. SECRET: 0
    PASS: 696d29e0940a4957748fe3fc9efd22a3
    >花澤惠子さん
    有力な情報提供、ありがとうございます。
    また、力強いメッセージありがとうございます。
    まさにその通りで、いま必要なのは人なのです。
    人がいない限り、街は呼吸をしません。
    僕も『いわき』でやりたいことがあります。
    そのための準備を整えているところです。
    今まで何のために写真を撮ってきたのか、その答えの一つが見えそうなのです。
    でも、そんなことよりも、もはや他人事ではいられない。それが一番大きなことだな。
    必ず戻ります。その時には、微力ながらも尽力させていただきます。
    がんばっぺ、四倉。がんばっぺ、いわき。がんばっぺ、小名浜。がんばっぺ、福島。
    みんなの力を束ねるときです。

  21. SECRET: 0
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    貴重なお写真でした
    悲しいなんて言葉で言い表すのももどかしいほどの惨状
    久の浜の夫の実家は津波と家事で消失
    両親は無事避難しました
    皆それぞれ大変な時期ですが、ひとつひとつ
    毎日を大切に歩いて行きましょう
    ありがとうございました

  22. SECRET: 0
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    =花澤惠子さんへ=
    情報提供ありがとうございました。
    その後もいろいろなところに連絡をし、昨日夜に
    薬師寺の皆川住職一家が、他県のお寺に避難されていることがわかりました。
    私の母にもその事を伝えましたので、
    今日にでも皆川あいこさんと直接連絡を取ると思います。
    本当にありがとうございました。
    =とくさんへ=
    こちらを情報提供の場にして頂きありがとうございました。
    長谷川さん・皆川さんどちらも無事が確認出来ました。
    原発の問題もあり、戻りたくても戻れない状況に
    避難されている方はかなり辛い思いをされていると思います。
    東京に住んでいる私がすぐに助けにいけるわけではない事がとても悔しいですが、
    まだ安否確認の取れていないご家族のいる方の為にも
    出来る限りの協力をしていきたいと思います。
    沢山の方がこちらのコメントを参考に出来るように、
    私が先に書きましたコメントは削除させていただきました。
    沢山の方がとくさんのブログを見て励まされるように願います。
    心より感謝いたします。

  23. SECRET: 0
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    四ッ倉の写真をありがとう。最初から見てその惨状に息をのむ思いでした。でも現実を知るために四ッ倉出身の知り合いに紹介しました。私の母、妻の母とも埼玉、東京に避難しています。実家が2か所、上仁井田の木村医院の近くにあるので被害の程度を見に帰省予定です。 電気、ガス、水道の状況を分かる方教えてください。(埼玉在住)

  24. SECRET: 0
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    カクマンのおじさんおばさん息子さんは元気です。おばさんは津波に流されて中学校のフェンスにしがみついて助かったそうです。波は六号国道を飛び越えてヤマコ(大川魚点)まできました。家は流されなくても商店街の人たちの被害は大きくそれでもみんな笑顔です。救援物資の配給で長い行列ができても家族の人数分以上にもらったりはしません。お互いを気遣い思いやってがんばっぺねぇと声を掛け合います
    共立病院に受診のため参りましたら受付を待っている時に震度五強の地震が何度もありました。隣のおじさんは「むくむくと来ただけで震度三だとか五だとかわかるんだよ」と笑って居られました。放射能情報にも地震情報にももうたまげなくなっちゃったね
    この日のためにとっておいたガソリンで平~内郷の方を見てきました。開いているガソリンスタンドには相変わらず車の長い列がどこまでも続いていましたが、必ず満タンになると確信して待って居られるのがわかりました。共立病院も昨日から一般外来が始まりどの先生方や看護師さん達にもご苦労様ですありがとうございますとお声をかけずにいられませんでした。
    午後になると避難して町を出て居られた方達が次々とお顔を見せて下さいました。復興です。今日が復興初日です。がんばっぺ!今日はうれしい一日でした。忘れられない日になりました。

  25. SECRET: 0
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    津波の直後から水道は止まったまま現在に至っております。けれど電気は止まりませんでしたので冷凍室に眠っていた食材をチンしてしのいだという方もたくさん苛舍る事と思います。夜になると転々と明かりがともりああみんながんばっているんだとその明かりに励まされました。海嶽寺の寺務所の明かりも消さないようにと住職にきつく言われました。屋内退避の人たちの電気代はタダにしてもらいたいねと言ったら住職はここは東京電力ではなく東北電力だからそれは無理だと言われました。

  26. SECRET: 0
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    四ッ倉 とても とても心配をしていました。
    ニュースでの情報もなく・・・情報を探していました
    今は亡き 母の故郷で 子供のころは 夏休みごとに行っていました。
    駅前近くで 自転車屋さん・・・きっと無事ですね
    四ッ倉海岸など・・・画像をみると かなりですが 
    皆で早い復興へ 動かれていて ほっとしました。

  27. SECRET: 0
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    写真を拝見させていただきました。
    昨年の夏に子供たち(スポ少)と自然の家に宿泊し、写真にあったところで
    遊んだことを思い出しています。
    あまりの変わり様に残念で仕方ありません。
    いつか必ず復興して、美味しいホッキをまた食べさせてほしいです。
    出来ることがあれば何か協力したいのですが、未だ燃料不足で身動きが取れません。
    私事で恐縮ですが、下神谷に友人が住んでいます。
    連絡は取れておりません。
    その辺りの写真が取れたときにはUPしてください。
    応援しています、これからもがんばってください!
    がんばれいわき!がんばれ四ツ倉!

  28. SECRET: 0
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    皆さんへ、いつも真摯なメッセージをコメント欄からくださり、ありがとうございます。
    今回の震災では、多くの人が地震や津波に起因する被害を受けました。
    不幸中の幸い…九死に一生を得た方。有形無形にかかわらず大切なものを失った方。
    また、今後の生活の見通しが立たず、不安な毎日を過ごされている方もいるでしょう。
    人それぞれ、その傷はさまざまです。
    立ち上がろうにも時間が必要な方もたくさんいらっしゃいます。そういう方にこそ、歩調を合わせて、支えていくことが大切だと思います。
    また、皆がそれぞれの場所で、それぞれの生活を、お仕事を、しっかりとこなしていくことが、未来を創っていくことになるのかなとも思います。
    それぞれのペースで、やり方で十分です。がんばりましょう。
    >みなもさん
    久ノ浜に実家のある方でしたか、実家の家は残念でしたが、ご両親はご無事だったとのこと。不幸中の幸いでした。
    今回は甚大な被害でした。私ごとで恐縮ですが、命があって良かったね・・・と言われると、とても複雑な気持ちになりました。なにしろ、亡くなった方もいるのに、自分の命があったことを素直に喜べるわけないじゃないかと思ったりしました。
    どうして・・・ということには答えようもありませんが、とにかく命があった以上、一生懸命に生きる使命があるのだなと思います。
    一つ一つ毎日を大切に・・・まさにその通りです。ありがとうございました。
    >kumasukaさん
    お探しのお二人の無事が確認され、本当に安堵しました。
    この縁で皆川ご住職のお人柄も知ることができました。ありがとうございました。
    今後も何かありましたら、コメント欄にてご投稿ください。
    >賀澤清次さん
    上仁井田については、撮影にうかがえなかったのです。しかし、仁井田にすむ先輩(65歳くらいの方)が、水はちょっと来ちゃったけど、何とか大丈夫だったと言ってました。なので、被害が小さければいいと願っております。
    >花澤惠子さん
    このたびは有用な情報をお寄せいただきまして、ありがとうございました。
    人が少なく暗い街中では、家々の明かりが心なごませるものとなる。
    明りは人が暮らしている証・・・。
    だから、海嶽寺の寺務所の明かりも消さないようにというご住職の言葉。
    これからは、少しづつだけど、いわきにも人が戻り始めると思います。街がふたたび息を吹き返します。もう少しです。がんばっぺねぇ。
    >ひかりちゃん
    ひかりちゃん、すみません。四ッ倉駅前も見ておくべきでしたね。
    時間を見つけて、ようすをみてきます。(だいぶお時間をいただくかもしれませんが。)
    >白河人さん
    白河へは高校野球の撮影で、白河グリーンスタジアムへお邪魔したことがあります。
    駐車場係の地元高校の野球部員の礼儀正しさに感激したのを覚えています。
    神谷地区は津波の被害がない地域ですので、被害は少ないものと思っています。
    比較的、行きやすい地区ですので、何かの折に撮影してみます。とはいえ、意外に広い地域ですので、ご希望の場所の目印がなにかあれば・・・と思います。

  29. SECRET: 0
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    風評被害でいわきに物資が来ない。放射能の値は福島県内でもビリから3番目なのに。
    けれど目を閉じて振り返ってみて下さい。11日の津波から始まった日々を。
    津波のニュースが原子力発電所のニュースに大きく移行していくのを瞬きもせず見つめ続けた日。爆発したらどこにいて同じ事と奇跡を願い祈るだけでした。「もうこの町は見捨てられている。逃げるなら今のうちだ」そんな声がどこからともなく聞こえてきます。「ある確実な筋から聞いたんだけど、いわきの人たち全部を避難させることはできない。とても避難用のバスを調達することはできない。だからいわきは避難指示が出ないんだ。少しでも遠くにこの町から出るのは今しかない。高速道路もタダになってる速く逃げろということだ。やがて封鎖されてこの町は見捨てられる」そんな声がどこからともなく聞こえ始めました。今まで隣にいた人が一人二人と消えてゆきました。さよならもいわないで。津波の直後スーパーマルトが在庫品を放出して下さいました。水はすぐになくなったけれどスポーツ飲料や缶詰、肉や野菜夢中で買いだめました。幸い電気は止まらなかったので、洗い物用の井戸水。給水場から運んできた水道水をビニールのゴミ袋にためて水道の復旧を待ちました。3日もすれば水道が来て町の再生へ動き出すものと信じておりました。けれどテレビに出てこられる人たちは、お互いに顔を見合わせたり口ごもったりで原発事故の説明もこれからの見通しも何もかも霧の中のように思えました。四倉は屋内退避となり息を潜めて原発の回復を見守っておりました。光通信はダウンしたまま固定電話はリンとも言わず、インターネットもファックスも使えなくなりました。お皿にラップをかけコップ1杯の水で食器と鍋を洗い、キッチンタオルで綺麗に拭き取り・・・この水が無くならないうちに原発よ収まっておくれと祈から念へと心は追い詰められてゆきました。
    「どうしてる?」携帯の向こうの声は県外から届くものに変わってゆきます。ああ!あなたも?「いつ強制避難ということになるかもしれないから荷物はまとめておいた方がいいよ。」そんな声がまたまたどこからともなく聞こえてきます。そしてその度に一人又一人と住民の姿が消えてゆくのです。
    明後日あたりから水道が出ると聞きます。町田の方から水道が出るようになったときこえてきました。今続々と県外から懐かしい顔が戻ってこられています。地震と津波に打ちのめされた我が家へもどってこられました。津波で流された方々のご遺体の収容も再開されました。町は動き始めました。震度5の余震にも放射能情報にももう振り回されません。復興あるのみ。先の見えない不安。取り残され忘れ去られる不安。これも風評被害ではなかったかと振り返ります。いわき市長は津波の後すぐにホームページを出し共同通信に発信して下さったときいております。今は給水車も梅ヶ丘にも来て下さるようになり、一日1回ですが、食糧の配給もあり、それを知らせる広報車の声が聞こえます。国がダッチロールを繰り返す中、市長さんを中心に行政の皆さんがぶれることなく私たちを誘導して下さることを切に願います。私たちはこの町が好きなんです。この町でずーっとっずーっと暮らしてゆきたいのです。

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    >花澤惠子さん
    コメント欄にて投稿していただき、ありがとうございます。
    今まで抱えてきた、不安な気持ち、悲しさ、憤り、これらを正直につづられたこと。このことには深く感謝したいと思います。複雑な想いをもって書かれたことと思います。
    僕はこの文章を隣人の痛みを知る糧としたいと思いました。また、この被害にあったいわき市民の痛みを理解したい、応援したいと思ってくださってる方にも、役立つのではないかと期待します。
    文中の最後の方で拝見しました文章。
    『町は動き始めました。震度5の余震にも放射能情報にももう振り回されません。復興あるのみ。』
    『私たちはこの町が好きなんです。この町でずーっとっずーっと暮らしてゆきたいのです。』
    この文章から力強い気持ちと町を愛する心をいただきました。まだまだ大変なことはありますが、何かの形で支え合っていきたいものです。
    ご投稿、ありがとうございます。

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    >花澤惠子さん
    今日もコメントありがとうございます。
    お墓の撮影承ります。ふふふ…こんな撮影依頼初めてですよ。
    近いうちにお会いしましょう。

  32. SECRET: 0
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    こんにちワン。ありがとウサギ。こんばんワニ。さよなライオン。魔法の言葉で楽しい仲間がポポポポーン。おはよウナギ。いただきマウス。あいさつするたびともだち増えるね。
    心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える。思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える。
    3月11日の大地震の直後から、民間広告ネットワークの優しいコマーシャルだけが流れるようになりました。原発が爆発したらどうなるのか被爆したらどうなるのか放射能への、恐怖、テレビから流れるコメントはいたずらにその恐怖をあおり立てます。そんな中で流され続けたやさしいメッセージ。最初はなぜこんな気休めを。極限の精神状態にいる人間を予想して精神安定剤のつもりだろうかと私の心は拒絶反応を起こしていました。私が聞きたいのは原発事故が好転し爆発の危険が無くなったという言葉だけ。そうすれば災害復興に向けて全てが動き出すはず。水道も出て洗濯してしてお風呂に入って・・・ガソリンが入ってきたらすぐに知人の安否を確かめに歩ける。ニュースを伝えるのに変に気持ちを込めて読まないでよ。同情はいらない。正確な情報が欲しい。この町に今どれだけの人が屋内退避しているのか。水や食料は何日分あればいいのか。無くなった時はどうすればいいのか。救援物資はどこに届けられているのか。持病の薬が切れた時はどこで薬がもらえるのか。パサパサになった心にはポポポポーンははねかえってしまうだけ。けれど、声を上げNGOの方が救援に来て下さり広報車の声が聞こえ街角で給水車の姿が見えた時。病院でトイレの水が流れるのを見た時、太陽が昇る時の閃光を見た思いがしました。やがて完全武装ではありますが、長い幽閉生活から解放され太陽の下を歩く人の姿が見られるようになり、町に人が戻ってこられ、懐かしい人たちと涙ぐみ手を握りあい・・・その間休むことなくポポポポーンが流れていました。少しずつ心にゆとりが出てきたのでしょうか、素直にポポポーンを受け入れて優しい気持ちになりました。こんなマインドコントロールなら許されますね。
    幼い子供を抱え子ども達を放射能から護ろうとあるだけの燃料で県外に避難された方々が、我が家の様子を確かめに戻ってこられます。「パーキングエリアで車の中で3泊した寒くて寒くて・・・いわきナンバーを見て使ってない家を無償で使わせて下さった。見ず知らずの人に助けてもらった。ありがたい」「ガソリンスタンドで並び方を間違えて横入りしたような形になってしまって怒られたんだけど、施設から出された年寄りを兄弟の所へ避難させるためにあるだけのガソリンで出てきたと謝って許してもらった」
    「20リットルしか入れてもらえないところを、いわきに帰るといったら満タンにしてあげますと言ってもらってここまで帰ってこられた」人の情けのありがたさ。ポポポポーンのコマーシャルが心にしみてくるようになりました。「屋内退避で食糧が尽き、避難所に行ったら屋内退避の人の分まで食料はないと言われた。障害者手帳を見せたら特別だと言いながらしなびたミカンを4つもらった。これだけで何日持つのかと言いたかったけど避難所の中には人がいっぱいでそれ以上下さいとは言えなかった」
    屋内退避をした人も県外へ避難していった人たちも,辛い思いは同じだったのですね。
    「あいさつするたびともだちふえるね」「心は誰にも見えないけれど心遣いは見える」「思いは見えないけれど思いやりは誰にでも見える」これからも決して楽な道のりではないけれど思いやり、心遣いを大切にしてゆきたいと思っています

  33. SECRET: 0
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    >花澤惠子さん
    ACですね。うん、僕は嫌いじゃ無いですよ。
    原発については、今も同じ気持ちです。祈る思いです。日本の叡智が勇気が集まっていると信じます。一生懸命やってくれてる。きっとなんとかしてくれると信じたい。
    諦めないこと。
    PS.今日、これからいわきに戻ります。

  34. SECRET: 0
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    3月27日夜水道が来ました。ちょろちょろちょろと蛇口から水が出てきました。風呂場からシャワーの音が聞こえました。出るか出ないか何度も何度も確かめている内閉め忘れていたのですね。アア!16日ぶりです水の音を聞くのは。
    ひかり電話が開通し、インターネットにつながり、とくさんのこの場を借りて災害現場のまっただ中に身を置いた者にしかわからない思いを聞いていただきました。取り残されてしまう忘れられてしまう。海に流された人たちもがれきの下に埋まったままの人たちも忘れられ捜索すらされず、やがて悪臭が漂い、病気が蔓延し、その中で死を待つのみなのか。ここには人が居る。復興の波は直ぐ隣まで来ているのに。ガソリンさえあれば10~30分で行けるところまで水は来ていてスーパーもコンビニも開きだしたというのに。
    いてもたっても居られなくて携帯でツイッターを御願いしました、。一ケ所からだけではウソと思われるかもしれないと思い、東京、千葉、大阪、長野、思いつくかぎりの友人知人に必死で御願いしました。どんな文章でもいいから海嶽寺と書いてほしい。きっと県外に避難して居られる檀家の方が見て下さるだろうからと。長野のパソコンの会社の方の奥様が読売新聞と朝日新聞にメールして下さったのがきっかけとなり朝日新聞の記者の方が来て下さいました。夜の闇に灯る家々の明かり。「あの明かりの下に人が暮らしているんです。これだけの人が室内避難と言われ残っているのに
    お役所の人は10日たった今も誰も来てくれません。どのような形ででもかまいません、ここに生きている人間が居ることを発信して下さい」有馬稲子さんのマネージャーはいわき市の福祉の方に電話がつながったそうでいわき市の福祉課の人が「ここにお年寄りが避難しておられるのですか?」と言って来られました。「地震から10日以上たったけどお役所の人が来てくれたのはあなた方が初めてですよ。私たちは水もくんで冷凍食品をとりだして何とかしのいできたけれど一人暮らしのお年寄りはじーっと家の中で避難して居て3日も食べずにいた人もあったそうよ。一軒一軒ドアを開けて見てくれるぐらいしてくれてもいいんじゃあないの」電話では梅ヶ丘の集会所に食糧や支援物資が配送されているからそこに行ってもらえると言われたそうで、放射能の雨の中走って見に行きました。そこには車椅子の人とお年寄りが板の間に毛布一枚で寝て居られました。ストーブはありましたがテレビもなく小さなラジオが置かれていました。「何しに来たんだい。ここには食べ物なんか無いよ」とけんもほろろでした。その旨マネージャーに伝えました。しばらくすると女の人から電話が来て集会場が食事の配給場所になっていると告げられましたので、見てきたままをお伝えしました。いったい行政は何をしているのか。市長は何をしているのかと怒りをぶつけました。もっとマスコミに訴えてほしいと。下から声を上げてほしい。声を上げ続けてほしい。東京からわずか2~3時間で来られるいわきがゴーストタウンになってしまう」翌朝テレビ朝日でいわきの現状が取り上げられ、NGOの方から電話があり救援物資をもっていわきに向かっているということでした。「救援物資が平等に行き渡るようにするためいわき市役所の方へ持って来て下さいと言われました」「ありがとうございます。それなら四倉へ持って行って下さいと言って渡してもらいたいのです。家の中にいるお年寄りにも聞こえるよう拡声器で広報して歩くことを条件に。よろしく御願いします」間もなく広報車がお弁当の配布を拡声器で知らせて歩いて下さいました。給水車も町のあちこちで見かけました。よかった本当によかった。
    東京で、千葉で、長野で、大阪で、ツイッターをして下さったり、役所や、新聞社や、NHKや思い付く限りの所へ情報を発信して下さった方々へ心からお礼申し上げます。原発の事故さえなければ直ぐに捜索して頂けたはずの不明者の方々。2週間以上たった今ようやく捜索がはじまったようですが、沖の方に流されたのか捜索は難航していると聞きます。がれきの下で救助を待っていた人が居たかもしれません。悔しいです。いわきの放射能の値は福島市より低かったのに・・・
    今になって「やっと電話が通じました。お墓の様子はどうですか?」「水道はでますか?」「津波はどこまで来たのですか?」と電話が来ます「見に来て下さい」と言います。ご自分の目で見て下さいと。

  35. SECRET: 0
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    義母が長春館病院に入院して三ヶ月。食事はできず点滴だけでベッドに寝ている状態になったけれど、先生は「真綿に包むように見守ります」と仰って下さいました。そのお言葉通り、衛生面での管理も行き届き、若い看護師さん介護士さん達がてきぱきとお年寄りのお世話をして下さっておりました。床ずれができぬよう本当にまめに体位を変えて下さって、口の中も洗って下さって、耳が遠くなった義母でしたがいつもテレビをつけておいて下さいました。海の直ぐそばで、大きな窓からは雄大な太平洋が一望できました。義母は危ないと言われながらも一進一退を繰り返しておりました。海岸道路をびゅーんと飛ばして病院の廊下をばたばたと駆けてお義母さんの顔を見て洗濯物を持って又駆け足。そんな毎日でした。言葉が出なくなったお義母さんでしたが、私が行くのをきっと待ってて下さっていたことと思います。直ぐにとんぼ返りの私に「気をつけていかっせえよ」と言って下さいましたね。3月9日、酸素の取り込みが悪くなってきたので酸素吸入のマスクに切り替えました。3までしか酸素の濃度は上げられません。今は2です。浴衣を用意しておいて下さい」と言われました。10日は私達の病院受診の日でしたからもしかしたら明日は来られないからと御願いしてきました。10日に行けなかったので11日には早めに行こうと昼ご飯の後片付けを急いでおりました。その時ぐらり。ゆっさゆっさゆっさ。柱の下に、いやテーブルの下にと右往左往している内に屋根が落ちてきたら一巻の終わりと住職と二人表に出てみると玄関の壁が見事に落ちていました。番犬のさくらとももを引っ張って新しい庫裡に避難しました。「津波という声を聞いて携帯も財布も持たずに夢中でここまで来てしまいました」と御詠歌の方が来られてよく事態を飲み込めないままお部屋にお通ししました。するとわらわらわらわら、わらわらとたくさんの人が新しい本堂の方に来られました。引き渡し直前の客殿でしたが早く開けけなさいと住職に言われ夢中で皆さんに「中で休んで下さいと声をかけて回りました。その時長春館では1階に波が押し寄せ機械が流されてしまいました。皆さんが四倉高校へ移動された後、何度も何度も電話をかけるのですが繋がりません。何かあれば連絡があるだろう。お義母さんの部屋は4階だから津波に持ってゆかれることはないだろうとなすすべもなくテレビを見つめておりました。13日の夜東京の妹が電話をくれました。「母さんが重篤の人の病室に移されたそうよ。先生のお話があるって」住職と二人地震の後の夜道を夢中で走りました。
    長春館の1階は泥だらけでエレベーターも
    止まったままでした。4階まで上がってゆくと広い部屋でお義母さんが横たわっていました。先生が来られて最後の呼吸です。よく頑張りましたねとお義母さんに話しかけてくださいました。その夜11時5分お義母さんは苦しむ様子もなく静かに息を引き取りました。携帯電話から呼びかける娘の声を聞きながら。
    こんな時だからと近親者だけにお知らせして、線香を上げて頂きました。ガソリンが無くなり、原発が爆発するかもしれないということで、私たち二人で火葬にしてお骨を拾って参りますことをごお許し頂きました。16日午後住職の読経を聞きながらお義母さんは天に昇ってゆかれました。今は新しい庫裡のお義母さんが寝て居られた部屋でひっそりとこの騒ぎの終わる日を待って居られます。今海嶽寺では17人の方が葬儀をする日を待って居られます。津波でなくなった方の捜索が終わればご葬儀を執り行うことになるでしょう。皆様をお見送りしてからお義母さんをお見送り致します。もう少し待っていて下さいねお義母さん

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    僕もいわきに戻ってきたのですが、少しづつ戻っていっていることに気が付きます。
    できれば、お母さんにもいわきが戻ってきたよと見せてあげたいところだったと思いますが、安らかに他界されたことは幸いでした。
    お母さんから、受け継いだ「いわき」を大切にしていきたいですよね。

  37. SECRET: 0
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    朝起きて蛇口を押すと勢いよく水が流れます。新しい庫裡はオール電化でしたので電気が止まらなかったことが私たちにとりましてなによりの幸せでした。お風呂に入れなくても、洗濯ができなくても少しの水があればご飯が炊けました。溜おいた水はIHの台所で毎日沸かして使うことができました。
    畜暖はエアコンと違い風が来ないので暖かくいられました。屋根の上のソーラーパネルでは地震の時どういう風になるかわかりません。けれど耐震性を考えたソーラパネルで自家発電し、余った電気を電力会社で蓄えればこんな災害の時にも電気を使えるのでは?と思いました。驚いたのはトイレの水でした。どんなに節水しようと思っても、一回使うごとにバケツ一つ分の水がないと流れないのです。お宅では一日何回トイレの水を流しますか? 一回流すごとにバケツ一杯の水を流しているのですよ。トイレの会社の方にもう少し水道代のかからないトイレを考えて頂きたいなあ。放射能汚染のことも、私の周りの人たちが現場から離れれば離れるほど過剰に怖がっているように見えておかしくなりました。だって原子力の専門の人が世界中の智慧を集めて今この時命がけで放射能汚染を最小限にと止めるよう頑張って下さっているのですもの。世界中に原子力発電所があって、地震はどこで起こるかわからなくて、世界で4番目という大地震がこの地で起きて、大津波に飲まれてたくさんの人々の命と生活を根こそぎさらっていった、その場所に原子力発電所があり、想定外の地震の大きさに壊れないと思っていた建物に被害が出た。これは事故でなく災害ではないでしょうか?今まで放射能は怖い怖いと言われ続けるだけで、何の知識も持っていませんでした。ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリ。けれどいろんな先生が放射能汚染もいろいろあって、体についたものは洗い流すとよい。赤ちゃんにはヨードを摂取させて予防するのがよい、国でサンプルをとってきちんと調べて安全としたものを店に出せば、私たちはそれを信じて食べることができます。様々に起こった事故を糧として研究してこられた放射能のスペシャリストの先生がこれほどいらしゃるのだとはじめて知りました。風向きを見てから外出します。雨の日はできるだけ屋内にいます。雨上がりは放射能が気化するので少し地面が乾いてから出かけましょう。久ノ浜の町は津波でやられ火事でやられその上原発で避難させられ四倉よりひどいゴーストタウンです。避難と言われても町から出られない人も居ます。現に町に残り生活して居られる人も居るのに、津波の後始末も、ライフラインの復旧も何一つ手をつけておりません。町を出た人が、強制的に避難させられた人が、帰る場所がありません。国は避難しろと言うだけで、その後の私たちの生活をどのように支援し新しい環境に定住させてくれるというのでしょうか?屋内退避は自主避難?自主避難なら国は責任を持たなくていいから?いわきの市長は全員避難したと報告したという噂が聞こえてきます。隣組という組織は何の役にも立たず、いわき市民は風評に踊らされ無人化した高速道路をガソリンのある限り逃げてゆきました。今子ども達を安全な場所に移し、町の人たちが戻ってこられました。来週からは東京から翆雲堂の宮大工さん達が御本尊様をお迎えする須弥壇とご先祖様をお迎えする位牌堂を作りに来て下さいます。翆雲堂の広瀬工場長の指揮の下、日本の木造建築のすばらしさをここ四倉の地に遺そうと下川棟梁、高島棟梁、林田棟梁そし日本木造建築の継承を目指す次代の若い宮大工さん達が精魂込めて作り上げて下さったこの寺はマグニチュード9という誰も体験したことのない揺れにもしっかりと耐え、威風堂々とこの町を見守っております。盤膨れが起こって檀家の皆様がご先祖様のためにと生活を切詰めてお持ち下さった御浄財を無駄にすることの無いようにと、ヨウタの陽田秀道会長様がしっかりと見守って下さって作り上げた屈強な基礎の上にこの建物は建っております。「人も建物も基礎が大事。私たちの仕事は縁の下の力持ちですよ」会長様のお言葉が今心底理解できます。
    帰ってこられた町の人たちが、又どこかへ行ってしまわれる不安に駆られます。あの日のような、人の居ない町になってしまうのではないかと不安になってしまいます。又水もガソリンも来ない町になってしまうのではないかと・・・
    檀家の方が「子ども達は安全な場所においてきました。私たちは放射能なんかかまっていられないからね」と笑って下さる時、本当にうれしく泣きたくなります。でも涙は明日。この町が子ども達と一緒に暮らせる町になった時。いたずらに放射能を怖がらずよく理解して共存できる町になった時。その時には泣いてもいいですよね。

  38. SECRET: 1
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    初めまして。
    去年10月、初福島県でもって蟹洗温泉に宿泊しました。
    絶対リピーターになるんだと、
    海岸でぼーっと有意義な時間を過ごしながら
    帰宅してきたんです。
    この大震災で蟹洗温泉付近はどうなっているのか
    気になりながらもなかなか検索する気になれず
    本日探したら、あなたのブログがヒットしたのです。
    お写真並べてくださって把握出来ました。
    大きく見やすいお写真を、有難うございます…
    ああ、やっぱり… まさかと思いつつ、やっぱり と愕然としました。
    しかし立ち上がって欲しいです!!
    福島のご多幸を願って止みません。

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    コメント欄で、ポストしてくださったお気持ちはとても大切なものとなりました。
    復興に向けて歩き出しました。この出来事を忘れることなく、歩んでいきたいですね。その意味でも、ぜひ書かれたことは削除せず、そのまま残していただけたらと思います。
    日曜日、炊き出しのボランティアにでてみようと思います。
    明日の午前中は所要がありますので、午後になりましたら、海嶽寺にいってみます。

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