東日本大震災から2ヶ月が経過して・・・被害内容と地域の特性に応じた、細やかな復興支援が必要。

昨日、5月11日(水)は震災のあの日から、ちょうど2ヶ月目だった・・・。

今日まで、僕は復興支援のための活動やボランティアなどをしていた。そして、居住している賃貸アパートは応急危険度判定【危険】と判定され、今は避難所での仮住まいをしながら、仕事をしている。
まさに、日々の生活をしていくことが精いっぱいだった。精いっぱいの生活の中で、取材できたことを記事にしてきた。 その中で、とても大切なことだけど・・・どうしても記事にできないことがあった。記事にするには熟考が必要だった。
今後の記事を書いていく上では、やはり避けては通れないこと。今日はそのことを記事にしたい。
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4月4日(月)、東日本大震災から3週間が経過したいわき市の薄磯海岸。津波被害の爪痕を強く残した現実が色濃く残されていた。
これほどの被害があったのだ。復興にかかる労力は並大抵のものではない。それこそ10~20年もの長期的な支援活動が今後も必要になり、被害内容と地域の特性に応じた、細やかな復興支援が要求されていると感じる。
いわき市は福島第一原発事故のニュースで注目されているが、震災被害の状況があまり取り上げられなかったように思う。薄磯地区の津波被害の惨状が、正確に認識されているかどうか、不安になる。(新聞報道やTVにでたところには、支援が集中しやすく、そうでないところには、支援の手が回りにくいという傾向がある。)
まずは、被災住民の方の生命の安全と健康を確保し、生活の再建をめざすための支援を行う必要がある。
そして、地域住民の方が作成されるであろう復興計画最大限に汲み取っていただき、政府および自治体による長期的かつ永続的な支援をお願いしたい。そして、専門的な見地から自然災害に強い町づくりを推進してほしいと願うものである。

私は、今後もいわきの各地域の復興のようすを伝えていく。そのための取材活動をこれからも続けていく。皆さんのご支援・ご協力をお願いします。

※この記事・写真は関係者の要請により、修正・削除を行うことがあります。ご了承ください。



震災から3週間が経過した月曜日・・・。
平沼ノ内地区から豊間方面へ移動し、津波被害の状況を見ていくことにした。
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四倉町と豊間地区を結ぶ幹線道路は津波をかぶり、砂だらけになっていた。また、いたるところで液状化現象の跡が見られ、舗装路は隆起して、バラバラになっているところが目立った。
富神崎(いわき市漁業協同組合沼ノ内魚市場近く)

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漁港近くで、首輪をした白い犬を見かけた。
震災のときに危険を察知したのか、家を飛び出したあと、迷子になっている犬や猫がいわき市には数多くいる。この犬もおそらくそうだろう。保護したものの、個人で飼育が難しい場合は、保健所で保護してくれることになっている。(※被災地の保健所では、極力飼い主のもとへ戻せるように努力していただけます。震災による迷い犬・迷い猫をお探しの方は、まず自治体の保健所へお問い合わせください。)
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海岸に流れ着いたボート、船尾のマーキングを見ると、いわきサンマリーナのボートであることがわかる。津波は、漁船だけでなく、個人の所有する釣り船やヨットにも被害を与えた。小型船はほとんどが沖へ流されたか、沈没した。無事なものは数えるほどだった。
いわき市漁業協同組合沼ノ内魚市場
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沼ノ内の魚市場にも防波堤はあったが、無力だった。
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消波ブロックを乗り越えた津波によって、堤防は破壊され、魚市場に大量の海水が押し寄せた。周囲のようすから推測すると、少なくとも5m近い津波が押し寄せたと思われました。運搬用の重機が無残にもなぎ倒され、建物に海水で流された自動車が突っ込んでいました。

薄磯海岸
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薄磯海岸は住宅や工場が密集していたこともあり、壊滅的な被害状況だった。
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たくさんの鉄筋が入った電柱もひとたまりもなかった。真っ二つにへし折られ・・・鉄筋がアメ細工のようにぐにゃりと曲がっていた。
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薄磯海岸の入口近くにあった住宅と市営住宅。海岸からは400mは離れていると思うが、土砂やがれきで埋もれていた。自動車も徹底的に破壊されていたことから、想像を絶する津波に襲われたのだと思われました。
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赤い車は地元消防団の消防車・・・。おかしなことに気がつくだろうか。写真に写っているのは前輪だけ。角度の関係でそう見えるのではない。真っ二つに両断されていた。津波のエネルギーの大きさを物語っている。
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薄磯海岸は、海岸と小高い丘に挟まれた平地に住宅が密集していた。それゆえ、第1波の津波をやりすごすことはできても、丘にぶつかって跳ね返ってきた第2波の津波にやられた。そして、繰り返し押し寄せる津波に破壊され尽くした。 
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自衛隊の部隊が人命検索や調査のために、現地入りしていた。
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薄磯海岸のシンボルである灯台が目印の、いわき信用組合塩屋崎支店。 見る影もない。
 
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こちらの工場は火事にもなったようだ。 町の中心部は幾度と押し寄せる津波と、丘で反射した津波がぶつかって、渦を巻いていたという。
 
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薄磯海岸には、かまぼこ工場など、たくさんの水産加工業の工場があったが、みな大きな被害を受けていた。 
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津波はこんなに大きな建物の壁もぶち抜いた。工場の中には瓦礫が流れ込み、足の踏み場もない。
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住宅のあった方へ目を向けると・・・瓦礫以外の一切がない。この建物は風呂場だけがポツンと残されていた。
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ほとんどの住宅が基礎だけを残して・・・姿をなくしていた。
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瓦礫の中にぬいぐるみや冷蔵庫などの家電製品が点在する。ここに暮らしていた方の生活が一瞬にして奪い去られたのだと分かる。
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もはやどこを撮影しても、瓦礫の山だった。
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ふと視線をむけると、大型犬が住宅(があったであろう場所)につながれていた。飼い主が迎えに来るのを待っているのか、微動だにしない。
おそらく避難所で生活している方の飼い犬で、避難所で飼育することができないので、一時的にここで飼育しているのだろう。動物も被災しているんだ。動物も救われて欲しい。飼い主の方が、動物を飼育できる物件に入居できることを願う。

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薄磯海岸は、大津波に備える防波堤がなかった。幹線道路に併設された防波堤しか備えていなかった。それは大津波に対しては、わずかな抵抗でしかなかった。 
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幹線道路に面した防波堤は崩れ、道路が大きくえぐられていた。 大津波の前にはひとたまりもなかっただろう。
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倒壊した防波堤を反対側から撮影してみた。広範囲にわたって、防波堤が破壊されているのが分かる。
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いわき市は地域によって、まったく被害が異なる。
記事の冒頭で述べたことを繰り返すが、これほどの被害があったのだ。復興にかかる労力は並大抵のものではない。それこそ10~20年もの長期的な支援活動が今後も必要になり、被害内容と地域の特性に応じた、細やかな復興支援が要求されていると感じる。
いわき市は福島第一原発事故のニュースで注目されているが、震災被害の状況があまり取り上げられなかったように思う。薄磯地区の津波被害の惨状が、正確に認識されているかどうか、不安になる。(新聞報道やTVにでたところには、支援が集中しやすく、そうでないところには、支援の手が回りにくいという傾向がある。)
まずは、被災住民の方の生命の安全と健康を確保し、生活の再建をめざすための支援を行う必要がある。
そして、地域住民の方が作成されるであろう復興計画最大限に汲み取っていただき、政府および自治体による長期的かつ永続的な支援をお願いしたい。そして、専門的な見地から自然災害に強い町づくりを推進してほしいと願うものである。
私は、今後もいわきの各地域の復興のようすを伝えていく。そのための取材活動をこれからも続けていく。皆さんのご支援・ご協力をお願いします。
※この記事・写真は関係者の要請により、修正・削除を行うことがあります。ご了承ください。