成田市の『あいであ居酒屋来て烈さん』の炊き出し支援

震災から7週間が経過した4月24日(日)、友人のつながりで、とある支援者がいわき市の高久小学校へ炊き出しの支援に来てくれることになった。支援者は千葉県成田市で居酒屋を営む来て烈さん。
いわき市平沼ノ内で被災した友人がお世話になった避難所(高久小学校)を慰問し、風評被害で悩むいわき市の現状を知りたいと立ち上がってくれたものでした。今回の炊き出しをするにあたり、常連のお客さんや成田市の支援者に物資提供等の呼びかけを行ってこられました。
私は友人とともに前日の23日(土)の深夜、来て烈さんと成田で合流し、24日(日)にいわき市にて支援活動を行いました。
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支援に来られた あいであ居酒屋来て烈さん の関係者と集合写真を撮影。
避難所での生活はやはり大変です。さまざまな問題があります。
私も避難所生活をしているので感じるのですが、避難所生活を改善するための支援は必要だと思います。まず、避難所では最小限のプライバシーしか保たれません。給食だって、いただけることだけでもありがたいのですが、十分な質とは言いがたい。この生活を長く続けていけるとは、到底思えません。限界があります。
今後は、避難されてきた方が、自立して生活できるような支援が強く求められると思います。
まずは、プライバシーの守られる仮設住宅や民間の賃貸住宅にできるだけ早く入居できること。そして、生活できる働き口があること。
最後に、もっとも大切なことだけど、「明日や将来への希望が持てること。」
なかなか難しいことだけど、行政の支援なくしては難しいことです。どうかよろしくお願いします。
#なお、関係者の要請により、この写真や記事の削除・修正を行なうことがあります。ご了承ください。


まずは、被災地の現状を見ていただくことから始めました。被災地の現状は一見しただけでわかるものではありませんが、それでも実際に見ていただき、地元に持ち帰って、いろいろな方と話し合って、考えていただけたら幸いと思います。
薄磯海岸(4月24日(日))
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いわき市は震災から1ヶ月たった4月11日から、市による津浪・地震によって半壊・全壊した建物の撤去作業を開始した。
これは、瓦礫を極力早くとり除いて、復興に向けてのスタートを早く行なえるようにするためと説明されている。もちろん、住居は個人の所有物・財産であるので、強制的な撤去はできない。市はラジオや新聞などを通じて、所有者に撤去作業を了承するかどうかの意思表示をするように呼びかけている。
写真は、市による撤去作業が始まってから13日目のもの。いまだに手付かずであるところが数多く見られた。薄磯地区は被害の規模が大きく、撤去作業も相当な労力と時間が必要になると察する。
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いわき市の災害ボランティアセンターから派遣されるボランティアによっても、瓦礫の整理や個人の貴重品・写真の捜索が行なわれている。少しづつ片付いてはいるが、容易なことではない。なお、市の災害ボランティアセンターの受付(参加・依頼)はこちらに案内がある。
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震災から2ヶ月がそろそろ過ぎようとしているが、ここまでの変化を見ても、行政による長期的・継続的な支援とボランティアによる支援が必要になるものと思われた。
 
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薄磯地区については、今後も継続的に見ていく。とりあえずは現場を後にした。
江名地区-中之作港-(4月24日(日)) 
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江名地区も津浪による被害を受けた。江名は古くからの港町。漁港や船を修理するための施設、釣船の係留所などがあった。それらは津浪によって大きな被害を受けた。
知人の釣り船の係留所では、20隻以上の釣り船が係留されていたが、無事だった釣り船はわずか一隻だった。それ以外は津浪によって沈没したか沖に流された。
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小名浜港(4月24日(日)) 
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小名浜港も信じられない風景が広がっていた。
何隻もの漁船が、押し寄せる津浪に持ち上げられ、港に押し上げられていた。これらの船の撤去は小型船から随時行なわれていくが、大型船はサルベージできる船が近隣にはないため、5月以降になるらしい。
環境水族館アクアマリンふくしま (4月24日(日))
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環境水族館アクアマリンふくしま。震災前は、シーラカンスの研究や、飼育の難しいサンマの水槽、そして、福島の自然と海(潮目の海)をまるごと再現する展示で、県内外の多くの方に人気を集めた。 今は、液状化した舗装路や建物の修復作業を行なっていて、敷地内には立ち入りできない。
僕は、第40回いわき市民美術展覧会・写真の部で見たいわき市長賞を受賞された泉武子さんの作品『撮影会』が忘れられない。アクアマリンふくしまの人気のひとつだったセイウチの水槽の前で繰り広げられていた親子のほほえましい姿が見事に記録されていた。そのような日常が当たり前のようにあった。いつの日かアクアマリンふくしまも再び再開される日が来ることを願う。
なお、アクアマリンふくしまの職員が、復興に向けて奮闘する様子がこちらのブログで公開されている。ぜひ応援して欲しい。


漂流・沈没等の船の集積所

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知人の船も津浪によって行方不明になっていたので、集積場に向かってみた。漂流した船は一時的にここで保管されているという。ここにあれば良いと願いながら行ってみたものの、やはり該当の船はなかった。
なお、漂流船のうち海上保安庁で確認されたものについては、海上保安庁のホームページにリストが掲載されている。

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小名浜地区も大きな被害を受けたが、いち早い復興を目指して、小名浜地区災害ボランティアセンターが立ち上がっている。小名浜地区のボランティアについては、そちらから情報を入手して欲しい。

また、tetote小名浜では、復興に向けた取り組み、小名浜にかかわる人々の想いを発信し続けている。こちらもぜひご覧下さい。


高久小学校での炊き出し支援

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今回の炊き出しに必要な食材や、成田市の有志の方々から預かった支援物資を下ろします。協力していただいた方のご氏名は来て烈さんのブログこちらの記事(来て烈の復興支援(お礼&風評編)にございます。
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お米やスイカ、パテシエお手製のスイーツ、お菓子、生活に欠かせない飲料水など、さまざまな支援物資が提供されました。
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津浪や地震で避難してきた方の中には、着の身着のままでこられた方もいるだろうことから、衣類や靴、洗面用具などの生活必需品、そして、梅雨になることも見込んで、扇風機が用意されました。それらを取りやすいように、衣類は男女に分けて、それ以外のものは仕分けして置かせていただきました。
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避難所にはられていた掲示物にしばし目を通してみました。全国からさまざまな支援が行なわれているようです。しかしながら、避難所ごとに必要な支援の内容が異なります。それに対応することはなかなか難しいと感じました。一つの避難所のようすを見るだけで、支援の十分・不十分を判断することはできません。 
 
炊き出し調理の開始
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僕たちが物資配布の準備をしている間・・・あいであ居酒屋来て烈の皆さんは、炊き出しでふるまう「鳥南蛮そば」と「おにぎり」「お惣菜」の準備を始めました。使う材料は、お店で使っているものと同じ新鮮なこだわり食材です。
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気持ちを込めて、おにぎりを作らせていただきました。おにぎりに使ったタネは、来て烈さんのおばあちゃんが作った自家製の梅干です。
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お惣菜は、あいであ居酒屋来て烈で出しているメニュー。成田から持参されました。
 
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長時間煮込んだ鶏がらスープを張って完成です。
ここまでの記事を見ると、避難所ではいい食事が提供されているんだなと思われるかもしれません。しかし、実際にはそうではありません。
普段は、ご飯におかず(漬物に缶詰またはレトルト食品)という質素な給食で生活されています。ですから、たまに来てくれるボランティアの方々による炊き出しはたいへんなご馳走であり、楽しみなのです。
また、避難所によっては炊き出しがこないところもあり、格差があるといわざるを得ません。
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皆さん、食事を取られていきました。鳥南蛮そばは大好評でおかわりをされる方もいました。普段は温めやすいご飯が多いこともあり、麺類は珍しいのだそうです。パテシエによるスイーツも好評で、たくさん持っていってくれました。
昼食後は物資の配布20110424_kite02-85.jpg 
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あっというまに売り切れ・・・特に、新しい下着やフリースなどの部屋着としても使える楽な衣類の人気が高かったようです。これからは夏物が必要になるのかもしれません。
記事の冒頭でも述べましたが、避難所での生活はやはり大変です。さまざまな問題があります。
私も避難所生活をしているので感じるのですが、避難所生活を改善するための支援は必要だと思います。まず、避難所では最小限のプライバシーしか保たれません。給食だって、いただけることだけでもありがたいのですが、十分な質とは言いがたい。この生活を長く続けていけるとは、到底思えません。限界があります。
今後は、避難されてきた方が、自立して生活できるような支援が強く求められると思います。
まずは、プライバシーの守られる仮設住宅や民間の賃貸住宅にできるだけ早く入居できること。そして、生活できる働き口があること。
最後に、もっとも大切なことだけど、「明日や将来への希望が持てること。」
なかなか難しいことだけど、行政の支援なくしては難しいことです。どうかよろしくお願いします。
#なお、関係者の要請により、この写真や記事の削除・修正を行なうことがあります。ご了承ください。